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神楽の成立  神楽の系統  巫女神楽  出雲流神楽  伊勢流神楽  獅子神楽  中国地方の神楽
  「石見神楽」とは  「石見神楽」の広島県への伝わりかた  「石見神楽」は広島県内でどう発展したのか

誰でもわかる広島(芸北)神楽年表 [pdf:154kb]改訂版2007.6.20
神楽の成立
芸能としての神楽の成立は平安時代といわれる。宮廷の神楽に対し、民間のものは里神楽・太々神楽などと呼ばれるが、雅楽渡来以前の古いものの系統を引いている。
湯立神楽は浄めの秘伝とされ、巫女により行われるところもある。


神楽の系統
神楽には「巫女神楽」「出雲流神楽」「伊勢流神楽」「獅子神楽」などの種類がある。


巫女(みこ)神楽
神に仕える巫女によって舞われる神楽で、巫女が鈴と扇あるいは榊の枝などを手に採って舞う。巫女神楽は、神がかりのひとつの形式を残したものともいわれる。


出雲流神楽
出雲の佐陀神社の御座替神事に発したといわれる神楽。
御座替神事は、一年ごとに神座の御座を替える儀式で、9月25日、新しい座をとって舞う清めの舞いを中心にした七番の舞がある。
「剣舞(けんぶ)」「清目(きよめ)」「散供(さんぐ)」「勧請(かんじょう)」「祝詞(のりと)」「御座(ござ)」「手草(たくさ)」がせそれで、いずれも神職が素面のまま採物を持って舞う。


伊勢流神楽
伊勢神宮に発したといわれる湯立を中心にした神楽。
湯立は、湯釜に湯をたぎらせ、その湯をふりかけることによって、けがれを祓い清める一種の祓いの行事である。湯立の神楽は、湯立に音楽歌舞が交じったもの。


獅子神楽
権現としての獅子頭を回しなから村々を訪れて、悪魔祓いや火伏せや息災延命を祈祷(きとう)する神楽で、奥羽地方の山伏神楽・番楽や、伊勢の太神楽などがそれである。


中国地方の「神楽」
中国地方の山地には神楽が伝えられている。備中神楽・出雲神楽・石見神楽など、藁で作った蛇を踊らせて、神主に巻き付けて、あくる年の豊凶や村のできごとなどの神託を聴く。はては、稲刈りのすんだ田んぼの中をかつぎまわって、村の神社に納める。神話の母体は、このような民俗行事にあったことを思わせる。

以上、出典は、
編:大島建彦ほか「日本を知辞典」(昭和46年刊)より
執筆者:[神楽]・・渡辺伸夫/[中国地方の神楽]・・大森志郎



「石見神楽」とは、
石見神楽は、元来、農神に捧げた「 田楽」の流れを汲むものと思われ、津和野・弥生神社に伝わる「鷺舞い」も、この一種である。
石見神楽は、次第に、村々の小神楽をも融合して「*大元神楽」をつくるようになる。
石見神楽は、江戸時代に行われていた「*五行思想」などにもとづく儀式舞いを発展させて、ストーリー性を強めた神楽で、島根県邑智郡・石見地方で創作された。

*大元神楽=「大元神」は、中国・四国地方で多く信仰されていたもので、普通、村落の一隅で小さな祠にまつられていた。
田楽系の神楽である大元神楽は、この大元信仰を中心に農神に捧げたもので、能楽系の出雲神楽とは、全く様子が違っている。

*五行思想=中国古来の哲理にいう、天地の間に循環流行して停息しない木・火・土・金・水の五つの「元気」のことをいう。
木から火を、火から土を、土から金を、金から水を生ずることを「相生」といい、また、木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木に克つことを「相克」という。
これらを、「男女の性」にあてはめ、「相生」のもの相合すれば和合して幸福あり、「相克」のもの相対すれば不和で災難が来るといわれている。

・・・・・「五行思想」のみ、広辞苑から引用



「石見神楽」の広島県への伝わりかた
広島県へ伝わった神楽には、江の川流域を上りながら高田郡へ伝えられた「阿須那系高田神楽」と、中国山地を越えて直接山県郡へ伝えられた「矢上系山県神楽」との、二つの流れがある。
伝わった時期は、どちらも、江戸時代の終わり頃であったといわれている。
では、舞いかたなどをどのように習得したのだろうか。
土地の物識りに聞くと、石見地方へ仕事で滞在していてその間に習得したもの、神楽習得のためわざわざ石見地方へ派遣したもの、また、神楽の師匠を石見地方から招聘して習得したものなど、の方法があったのではないかという。

<その他の参考出版物>
・山陰中央新報社 昭和60年刊「石見神楽」 執筆者:矢富巌夫
・ゼロワン/青文社 平成7年刊「写真集 炎の舞〜中国山地・広島の神楽」
・高田郡美土里町 佐々木順三著 昭和51年刊「かぐら台本集 新曲目の部」


「石見神楽」は広島県内でどう発展したのか
幾度か存亡の危機に直面した神楽が、今また新しい脚光を浴びようとしている。
その一番大きな転機は、第二次世界大戦での日本の敗北である。
それまで、綿々と舞われてきた神楽は「進駐軍の検閲=上演禁止」という、それまで経験したことのない受難の時代を迎えたのである。
ところがその当時、巧妙な方法で危機を乗り越えた大変な「功労者」がいる。
神楽関係者なら、知らぬ人はいないとまで言われる、佐々木順三氏がその人だ。
佐々木氏は、それまで主流を占めていた「神国思想」を色濃く打ち出した神楽から、物語性を全面に取り入れた、全く新しい近代神楽を創作、世に送り出したのである。
20曲を越える佐々木氏の創作神楽は、今でも各神楽団によって舞い継がれ、人々に親しまれている。


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